2月の上旬にまだまだ長生きしそうだと思ってた義母が急転直下、眠るように最期を迎えました。昨年の春あたりから心配性の自分は1人での生活は無理だと家内と弟に言い続け、昨年末に転んだ事から救急車で運ばれ入院となりました。


病院の先生の配慮により入院中に空きが出たらって事でグループホームに入る事とし、1月の下旬にタイミング良く、グループホームに入所出来ました。
やれやれと一安心、2月の選挙の期日前投票と家での用事を済ませ、施設へ弟夫婦が送り届け、夜の睡眠に入り、夜中の見回りで呼吸をしていない義母が確認され深夜の連絡。
義母の最期を確認しました。
葬儀は兄弟2人と連れ添いと孫2人で済ませました。義母から我家に嫁いだ歴史あるお雛様は義母のお棺の中に密かにお返ししました。
入所したグループホームの施設は真新しい綺麗な施設でしたが、プライベートもほぼ無い状態に、食事も楽しい食事では無く、生きる為の3食を食べ、最後を迎える感じに何かショックを受けてしまった。
子供達を3人も育てあげ、最後の幕引きには寂しい感じを受けました。
自分は長男、20代後半で父親が食道癌を患い病院を退院したが自宅療養していた、体力的にも金銭的にも限界を感じたか、6人兄弟の誰かが実家に戻る決断をしました。
40年以上前はグループホームなんぞ全く無く、有料老人ホームと呼ばれていた時代。
そんな所に入れる人は裕福だったり財産が無ければ入る事の出来ない時代、病院に入院して最後を迎えるか、子供が引取、面倒を見る選択しかなかった。行末の親の面倒は長男である自分に責任があると思っていました。
実家に戻るにしてもまだ50代半ばの父親、何年面倒を見る事になるやら、不安だらけでした。
そんな時、札幌の幹線道路に近い人気の土地だった実家、そんな僅かばかりの財産と引換に、責任は感じながらも兄弟を集め、長男として親の財産を放棄する代わりに実家に入って父親の面倒を見てくれる兄弟を募ったのだった。
しかし誰しも手を上げる兄弟は居らず、長男の責任と思っていた自分が実家に戻る事となり最後を自宅で看取りました。
そんな長男の責任と思っていた中、家内の弟(長男)が納骨するまで置いておく場所は自宅には無い、誰も居ないマンションに置いておくと言う。(札幌市営墓地は雪他の為、GW明け迄納骨不可)
自分には発想の無い話しに唖然とショック、仏壇も置く場所が無いので置くつもりもないような話し、大学院まで出した長男、あまりにも義父・義母が自分の事のように感じ、情けなく子供が居てもこんな扱い、どうなんだろう?
自分には子供も居ないし、願えれば家内より先に逝きたいと思って居ますが、長生きしてもこんな扱い、亡くなった義母も早く死にたいと言っていたようです。
自身の極々近い将来の事を考えると早目の終活と長生きはしたくないと強く感じました。